昨年12月から、ホルンは日本人選手の獲得を目指していた。
7月14日、オーストリア3部のSVホルンはFW榊翔太を札幌から完全移籍で獲得することを発表した(契約期間は3年)。ご存知のとおり、同クラブは日本代表MF本田圭佑が実質的オーナーを務めるクラブ。発表直後には多くのメディアがホルンで「背番号4」を背負う榊の存在を大きく報じ、一躍注目を集めた。
果たして、新たなスター誕生の契機となり得るこの移籍の裏には、どういった動きがあったのか。現地へ出発する直前の榊の言葉を借りながら、大まかに振り返ってみたい。
「代理人から『オーストリアのクラブから打診がある』と聞いた時は、ビックリしました。海外でのプレーにはかねてから強い興味がありましたから、とても光栄でしたし大きなチャンスだとも思いました。
でも、今季の僕は札幌でほとんど試合に出ることができず、アカデミーから育ててもらっているにもかかわらず、まだなにも大きな恩返しができていない立場。とにかくまずはコンサドーレ札幌の一員として、クラブの目標に少しでも貢献することを最大の目標にプレーしていたわけです。
その状況で、新たに海外にチャレンジすべきなのかどうか……。そこは最後まで本当に悩みました。移籍をするにしても、まずは国内で出場機会の得られるクラブに期限付き移籍などをして経験を積むのが先じゃないのか、といった自問もありましたし」
榊は1993年に北海道上川郡清水町に生まれ、地元の少年団、中学を経て札幌U-18に加入。2012年からはトップチームに昇格した。北海道で生まれ育ち、故郷のプロクラブでプレー。札幌は「我が家」とも言える存在で、榊の中で簡単には切り離せるものではなかった。様々な感情が入り交じるなか、最終的には「欧州でステップアップし、札幌の名前を広めることで恩返しをしていきたい」と新たな誓いを立てて今回の大きなチャレンジを決めるに至った。
事の発端は昨年末に遡る。
「昨年の12月上旬からホルンでコーチを務めるモラス雅輝さん(元々インスブルック在住で、過去には浦和コーチなども歴任)から、『日本人選手の獲得を検討している』と相談されました。その時に翔太選手の名前がすぐに私の頭に浮かびました。翔太選手は小柄で俊敏な、欧州にはいないタイプのFW。それでいて日本人離れしたシュートセンスや決定力を持ち合わせていましたから、彼ならばきっとフィットするだろうとイメージしたんです」
そう振り返るのは榊の選手エージェントを務める、A-Sports Creation(エー スポーツ クリエイション)株式会社・代表取締役の野村豊幸氏(日本サッカー協会登録仲介人)だ。ルーキーイヤーから契約を結び、日々、現実的な課題と向き合いながらも榊本人とともに将来の大きな夢を描き続け、今回の移籍成立に向けても大きな力を注いできた。
しかし、欧州がオフシーズンで移籍市場が活況だとしても、日本のJリーグは真っ最中。当然、榊も札幌との契約期間中だったわけで、この部分について榊、そして野村氏は札幌の三上大勝GMに大きな感謝をしている。アカデミー在籍時から随所で三上からの叱咤激励を受けて育ってきた榊の言葉からも、それが強く感じ取れる。
「三上さんには本当に感謝しています。最初に『海外でプレーをするというのは、本当に大変なこと。その覚悟はしっかりできているのか?』と聞いてくれたうえで、『札幌というクラブ、そしてオレ個人としてもいろいろな想いがあるけど、やはり最終的には翔太の気持ちを一番尊重したい。覚悟ができているのであれば、それを心から応援したい』と背中を押してくれたんです。
本当に嬉しかったですし、三上さんの期待に応えるためにも、絶対に活躍をしなければいけないと考えています」
様々な想いや後押しが、21歳の若者に新たなステージを用意したということである。
果たして、新たなスター誕生の契機となり得るこの移籍の裏には、どういった動きがあったのか。現地へ出発する直前の榊の言葉を借りながら、大まかに振り返ってみたい。
「代理人から『オーストリアのクラブから打診がある』と聞いた時は、ビックリしました。海外でのプレーにはかねてから強い興味がありましたから、とても光栄でしたし大きなチャンスだとも思いました。
でも、今季の僕は札幌でほとんど試合に出ることができず、アカデミーから育ててもらっているにもかかわらず、まだなにも大きな恩返しができていない立場。とにかくまずはコンサドーレ札幌の一員として、クラブの目標に少しでも貢献することを最大の目標にプレーしていたわけです。
その状況で、新たに海外にチャレンジすべきなのかどうか……。そこは最後まで本当に悩みました。移籍をするにしても、まずは国内で出場機会の得られるクラブに期限付き移籍などをして経験を積むのが先じゃないのか、といった自問もありましたし」
榊は1993年に北海道上川郡清水町に生まれ、地元の少年団、中学を経て札幌U-18に加入。2012年からはトップチームに昇格した。北海道で生まれ育ち、故郷のプロクラブでプレー。札幌は「我が家」とも言える存在で、榊の中で簡単には切り離せるものではなかった。様々な感情が入り交じるなか、最終的には「欧州でステップアップし、札幌の名前を広めることで恩返しをしていきたい」と新たな誓いを立てて今回の大きなチャレンジを決めるに至った。
事の発端は昨年末に遡る。
「昨年の12月上旬からホルンでコーチを務めるモラス雅輝さん(元々インスブルック在住で、過去には浦和コーチなども歴任)から、『日本人選手の獲得を検討している』と相談されました。その時に翔太選手の名前がすぐに私の頭に浮かびました。翔太選手は小柄で俊敏な、欧州にはいないタイプのFW。それでいて日本人離れしたシュートセンスや決定力を持ち合わせていましたから、彼ならばきっとフィットするだろうとイメージしたんです」
そう振り返るのは榊の選手エージェントを務める、A-Sports Creation(エー スポーツ クリエイション)株式会社・代表取締役の野村豊幸氏(日本サッカー協会登録仲介人)だ。ルーキーイヤーから契約を結び、日々、現実的な課題と向き合いながらも榊本人とともに将来の大きな夢を描き続け、今回の移籍成立に向けても大きな力を注いできた。
しかし、欧州がオフシーズンで移籍市場が活況だとしても、日本のJリーグは真っ最中。当然、榊も札幌との契約期間中だったわけで、この部分について榊、そして野村氏は札幌の三上大勝GMに大きな感謝をしている。アカデミー在籍時から随所で三上からの叱咤激励を受けて育ってきた榊の言葉からも、それが強く感じ取れる。
「三上さんには本当に感謝しています。最初に『海外でプレーをするというのは、本当に大変なこと。その覚悟はしっかりできているのか?』と聞いてくれたうえで、『札幌というクラブ、そしてオレ個人としてもいろいろな想いがあるけど、やはり最終的には翔太の気持ちを一番尊重したい。覚悟ができているのであれば、それを心から応援したい』と背中を押してくれたんです。
本当に嬉しかったですし、三上さんの期待に応えるためにも、絶対に活躍をしなければいけないと考えています」
様々な想いや後押しが、21歳の若者に新たなステージを用意したということである。