特殊な状況に置かれるハリルホジッチには、情状酌量の余地があるが…。
中立地、テヘランで行なわれたワールドカップ2次予選。アフガニスタン戦は日本が6-0で圧勝を収めている。
大量得点で勝利した事実は讃えられるべきだが、やはり評価が難しい。
相手はドイツやオランダの5部リーグでプレーする選手が多く、日本の大学生やJFLとほぼ同格。観衆の声援によって色気を出してくれたおかげで、シンガポール、カンボジアとのホームゲームよりも日本が付け入る隙は大きかった。そもそもワールドカップ2次予選の相手は日本と同じ土俵に立っておらず、サッカーにさえならない。“一方的な攻撃練習”というのが現実だろう。
その点で、アフガニスタン戦では攻撃が機能したというよりも、他の試合が拙攻だったという見方が相応になってしまう。シンガポールとの引き分け、東アジアカップ史上初の最下位、カンボジアにわずか3得点……。ここまで不甲斐なかった代表は久しぶりで、どうしても指揮官への不信感を拭えない。
「大量得点で勝利して当然」という状況に、ヴァイッド・ハリルホジッチ監督はストレスを抱えているだろう。欧州では、ここまで力量の劣る相手との真剣勝負の連続は例外的。指揮官としては、「縦に速いサッカー」を目指したいところだが、いくら意識付けを徹底しても11人が完全に引いて守る相手では有効性に乏しい。特殊な状況に置かれるハリルホジッチには、情状酌量の余地がある。
しかしアジアでもたつき、ハビエル・アギーレが抜擢した武藤嘉紀のような新人さえ見出せておらず、このままでは外国人監督として及第点は与えられない。
そもそも、その選考に焦燥や固陋(ころう)はないだろうか?
ハリルホジッチは過去の経験を基に、一貫したメンバー選考をしている。速さ、強さ。その2点を強く求めており、スピード、インテンシティとも言い換えられる。アルジェリア代表監督としては、それを活かしたカウンター戦術を具現化。裏への速さ、縦への強さはアルベルト・ザッケローニ時代に足りなかったプレーであり、新しいモデルとしては悪くはない。
争点とするべきは、日本人をこの2点を重視して選考した場合、プレー精度が著しく落ちることだ。その最たる例が東アジアカップであり、世代交代の手がかりとすらなっていない。
大量得点で勝利した事実は讃えられるべきだが、やはり評価が難しい。
相手はドイツやオランダの5部リーグでプレーする選手が多く、日本の大学生やJFLとほぼ同格。観衆の声援によって色気を出してくれたおかげで、シンガポール、カンボジアとのホームゲームよりも日本が付け入る隙は大きかった。そもそもワールドカップ2次予選の相手は日本と同じ土俵に立っておらず、サッカーにさえならない。“一方的な攻撃練習”というのが現実だろう。
その点で、アフガニスタン戦では攻撃が機能したというよりも、他の試合が拙攻だったという見方が相応になってしまう。シンガポールとの引き分け、東アジアカップ史上初の最下位、カンボジアにわずか3得点……。ここまで不甲斐なかった代表は久しぶりで、どうしても指揮官への不信感を拭えない。
「大量得点で勝利して当然」という状況に、ヴァイッド・ハリルホジッチ監督はストレスを抱えているだろう。欧州では、ここまで力量の劣る相手との真剣勝負の連続は例外的。指揮官としては、「縦に速いサッカー」を目指したいところだが、いくら意識付けを徹底しても11人が完全に引いて守る相手では有効性に乏しい。特殊な状況に置かれるハリルホジッチには、情状酌量の余地がある。
しかしアジアでもたつき、ハビエル・アギーレが抜擢した武藤嘉紀のような新人さえ見出せておらず、このままでは外国人監督として及第点は与えられない。
そもそも、その選考に焦燥や固陋(ころう)はないだろうか?
ハリルホジッチは過去の経験を基に、一貫したメンバー選考をしている。速さ、強さ。その2点を強く求めており、スピード、インテンシティとも言い換えられる。アルジェリア代表監督としては、それを活かしたカウンター戦術を具現化。裏への速さ、縦への強さはアルベルト・ザッケローニ時代に足りなかったプレーであり、新しいモデルとしては悪くはない。
争点とするべきは、日本人をこの2点を重視して選考した場合、プレー精度が著しく落ちることだ。その最たる例が東アジアカップであり、世代交代の手がかりとすらなっていない。