1999年・浦和レッズ――遅すぎた福田投入
2015年のJ1リーグは、セカンドステージも終盤に差し掛かったが、この先にはチャンピオンシップも控えており、覇者が決するのはまだ先である。
その一方でJ1残留争いでは、間もなく降格チームが決しそうである。最初に崖っぷちに追い込まれたのは、現在、セカンドステージ、年間順位ともに最下位の清水エスパルス。14節のベガルタ仙台戦で勝利を挙げられなければ、降格が決する可能性もある。
清水といえば、1993年のJリーグ創設時から参加している、いわゆる「オリジナル10」の一員である。これまでJリーグステージ優勝(1999)や天皇杯(2001年)、アジア・カップウィナーズ・カップ(2000年)などの国内外のタイトルを獲得した強豪であり、降格は1度もなかった。
今回、清水がJ1残留に失敗すれば、オリジナル10からは6番目の降格チームとなる。
迫るXデーを前に、ここでは「オリジナル10」5チームの降格の瞬間を、当時の週刊サッカーダイジェストの記事で振り返ってみよう。
――◇――◇――
■Case.1 浦和レッズ
1999年11月27日・駒場
セカンドステージ15節
浦和 1(延長)0 広島
絶好調をキープし、かつ大一番で結果を出し続けてきた男が、なぜスタメンを飾っていないのか。
“駒場のカリスマ”福田正博。浦和というチームを理解する指揮官なら、こんな決断は下さなかったはずだ。吉と出るか凶と出るか、不穏な空気が駒場全体を包んでいた。
ガッチリと最終防衛線を敷く広島に対し、浦和は中盤を省略するロングボールで揺さぶりをかける。だが、ターゲットがぼやけ、セカンドボールさえ拾えない状況で、逆にイライラだけが募っていった。
広島DFのフォックスは言う。
「彼らの焦りと重圧は時間を追うごとに大きくなっていったんだ。それを見て僕たちは、どんどん冷静になれた」
前半を終えて0-0。しかし試合の主導権は、完全に広島が握っていた。
後半、ア・デモス監督はFWの大柴健二、盛田剛平を投入。がむしゃらに勝点3を狙いにいったが、チームの混乱は深まる一方で、それはまるで“白い巨塔”に小さな赤い矢を放つがごとくだった。
この流れを変えたのが、81分に登場した福田だ。クールにスペースを有効活用し、後方からの支援を引き出すなど攻撃に厚みを加えていく。ようやく得点の匂いが漂い始めたのだ。
石井俊也をリベロとし、まさにギャンブルの超攻撃的布陣。ノーガードの撃ち合いに広島を誘い込み、一進一退の攻防へと激変させた。精神的な駆け引きを制していたのは浦和で、主導権をもぎ取っていたのも駒場の主だった。
ロスタイム、福田のクロスに盛田が合わせるも枠を捉えきれず。福田投入が遅すぎる采配だったことを証明しつつ、90分の戦いは幕を下ろした……。
降格――。結果は知っていた。だが眼前の勝利を、選手たちは一心不乱に求めた。106分、福田が執念の一撃で終止符を打つ。今季最後の“ゲットゴール”は、あまりにも悲しく、かつ力強く、サポーターの胸に突き刺さったことだろう。
(週刊サッカーダイジェスト1999年12月15日号)
その一方でJ1残留争いでは、間もなく降格チームが決しそうである。最初に崖っぷちに追い込まれたのは、現在、セカンドステージ、年間順位ともに最下位の清水エスパルス。14節のベガルタ仙台戦で勝利を挙げられなければ、降格が決する可能性もある。
清水といえば、1993年のJリーグ創設時から参加している、いわゆる「オリジナル10」の一員である。これまでJリーグステージ優勝(1999)や天皇杯(2001年)、アジア・カップウィナーズ・カップ(2000年)などの国内外のタイトルを獲得した強豪であり、降格は1度もなかった。
今回、清水がJ1残留に失敗すれば、オリジナル10からは6番目の降格チームとなる。
迫るXデーを前に、ここでは「オリジナル10」5チームの降格の瞬間を、当時の週刊サッカーダイジェストの記事で振り返ってみよう。
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■Case.1 浦和レッズ
1999年11月27日・駒場
セカンドステージ15節
浦和 1(延長)0 広島
絶好調をキープし、かつ大一番で結果を出し続けてきた男が、なぜスタメンを飾っていないのか。
“駒場のカリスマ”福田正博。浦和というチームを理解する指揮官なら、こんな決断は下さなかったはずだ。吉と出るか凶と出るか、不穏な空気が駒場全体を包んでいた。
ガッチリと最終防衛線を敷く広島に対し、浦和は中盤を省略するロングボールで揺さぶりをかける。だが、ターゲットがぼやけ、セカンドボールさえ拾えない状況で、逆にイライラだけが募っていった。
広島DFのフォックスは言う。
「彼らの焦りと重圧は時間を追うごとに大きくなっていったんだ。それを見て僕たちは、どんどん冷静になれた」
前半を終えて0-0。しかし試合の主導権は、完全に広島が握っていた。
後半、ア・デモス監督はFWの大柴健二、盛田剛平を投入。がむしゃらに勝点3を狙いにいったが、チームの混乱は深まる一方で、それはまるで“白い巨塔”に小さな赤い矢を放つがごとくだった。
この流れを変えたのが、81分に登場した福田だ。クールにスペースを有効活用し、後方からの支援を引き出すなど攻撃に厚みを加えていく。ようやく得点の匂いが漂い始めたのだ。
石井俊也をリベロとし、まさにギャンブルの超攻撃的布陣。ノーガードの撃ち合いに広島を誘い込み、一進一退の攻防へと激変させた。精神的な駆け引きを制していたのは浦和で、主導権をもぎ取っていたのも駒場の主だった。
ロスタイム、福田のクロスに盛田が合わせるも枠を捉えきれず。福田投入が遅すぎる采配だったことを証明しつつ、90分の戦いは幕を下ろした……。
降格――。結果は知っていた。だが眼前の勝利を、選手たちは一心不乱に求めた。106分、福田が執念の一撃で終止符を打つ。今季最後の“ゲットゴール”は、あまりにも悲しく、かつ力強く、サポーターの胸に突き刺さったことだろう。
(週刊サッカーダイジェスト1999年12月15日号)