ミスをしても敵がまたミスをするから致命傷にならない。
ロスタイムも大詰めの96分、今野のスローインから広島の攻撃が始まった時、私の思考は停止した。
「え? どうして?」
混乱した頭の中を整理しているうちに、柏の決勝点が決まる。
こうしてチャンピオンシップ第1戦は、3-2で広島に凱歌が上がった。
もっとも振り返れば、ミスから生まれたゴールはこれだけではない。長澤が決めたG大阪の先制点も、広島守備陣の考えられない「お見合い」の産物だった。さらに付け加えれば、浦和とG大阪が争った準決勝でも摩訶不思議なゴールが生まれている。
シーズンの総決算ともいうべきチャンピオンシップ、私は緊迫したハイレベルな攻防を楽しみにしていたが、期待は完全に裏切られた。こんな試合で日本一が決まるのかと思うと、情けない。
だが、これが日本サッカーの現実だろう。
Jリーグのトップレベルでも、日本一を争う緊迫感の中で質の高いプレーをすることができないのだ。とかく場当たり的なプレーが多く、落ち着いて試合を運ぶことができない。ミスをしても敵がまたミスをするから致命傷にならず、ミスが教訓にならないのだ。
これは日本人の趣向と関係があるかもしれない。
私たち日本人は攻撃的で運動量が多く、流動的なプレーをすることがいいサッカーだと捉えている。だが、こうした試合の進め方は日本独特といってもいい。
私はイタリアの友人と何度かJリーグを観戦したが、友人は試合中、しきりに「ポジションが分からない」と首をひねっていた。それはだれがどこで何をするのかが、明確ではないということ。定石が見えないというのだ。
誰がどこにいるのか、そのポジションが曖昧だというだけではなく、状況に合わせたプレーもできていないという。
例えば行かなくてもいいところで無理にボールを奪いに行き、敵の攻撃に拍車をかけてしまう。無理に守りの堅いところに攻め込み、逆襲を食らう……。ひと言でいえば状況判断ができていない。
だが、これは選手だけの責任とは言い難い。
ワールドカップ常連の国に行くと、誰かがポジショニングや動きを間違えると、観客席にざわめきが起きる。「あいつ、なにやってんだ?」ということだ。
こういうざわめきは、日本ではほとんど聞いたことがない。
かつて私は、モンテネグロの友人とFC東京とC大阪の試合を見たことがある。その試合でC大阪がカウンターを繰り出した時、友人が突然立ち上がって私に言った。
「あいつ、なに歩いてるの?」
その選手が走っていればゴールの確率は上がったというのに、呑気に歩いていたのだ。だが、その場面で立ち上がったのは友人だけで、他の観客はいつものように応援していた。私も柿の種を食べていたのだから、偉そうなことは言えない。
お客さんや記者がちゃんとした目を持たなければ、この国のサッカーはいつまで経っても次元の低い「面白いゲーム」を続けることになるだろう。
3日後、エディオンスタジアムで日本一が決まる。この試合だけは、奇妙なゴールが決まらないでほしいものだ。
取材・文:熊崎 敬(スポーツライター)
「え? どうして?」
混乱した頭の中を整理しているうちに、柏の決勝点が決まる。
こうしてチャンピオンシップ第1戦は、3-2で広島に凱歌が上がった。
もっとも振り返れば、ミスから生まれたゴールはこれだけではない。長澤が決めたG大阪の先制点も、広島守備陣の考えられない「お見合い」の産物だった。さらに付け加えれば、浦和とG大阪が争った準決勝でも摩訶不思議なゴールが生まれている。
シーズンの総決算ともいうべきチャンピオンシップ、私は緊迫したハイレベルな攻防を楽しみにしていたが、期待は完全に裏切られた。こんな試合で日本一が決まるのかと思うと、情けない。
だが、これが日本サッカーの現実だろう。
Jリーグのトップレベルでも、日本一を争う緊迫感の中で質の高いプレーをすることができないのだ。とかく場当たり的なプレーが多く、落ち着いて試合を運ぶことができない。ミスをしても敵がまたミスをするから致命傷にならず、ミスが教訓にならないのだ。
これは日本人の趣向と関係があるかもしれない。
私たち日本人は攻撃的で運動量が多く、流動的なプレーをすることがいいサッカーだと捉えている。だが、こうした試合の進め方は日本独特といってもいい。
私はイタリアの友人と何度かJリーグを観戦したが、友人は試合中、しきりに「ポジションが分からない」と首をひねっていた。それはだれがどこで何をするのかが、明確ではないということ。定石が見えないというのだ。
誰がどこにいるのか、そのポジションが曖昧だというだけではなく、状況に合わせたプレーもできていないという。
例えば行かなくてもいいところで無理にボールを奪いに行き、敵の攻撃に拍車をかけてしまう。無理に守りの堅いところに攻め込み、逆襲を食らう……。ひと言でいえば状況判断ができていない。
だが、これは選手だけの責任とは言い難い。
ワールドカップ常連の国に行くと、誰かがポジショニングや動きを間違えると、観客席にざわめきが起きる。「あいつ、なにやってんだ?」ということだ。
こういうざわめきは、日本ではほとんど聞いたことがない。
かつて私は、モンテネグロの友人とFC東京とC大阪の試合を見たことがある。その試合でC大阪がカウンターを繰り出した時、友人が突然立ち上がって私に言った。
「あいつ、なに歩いてるの?」
その選手が走っていればゴールの確率は上がったというのに、呑気に歩いていたのだ。だが、その場面で立ち上がったのは友人だけで、他の観客はいつものように応援していた。私も柿の種を食べていたのだから、偉そうなことは言えない。
お客さんや記者がちゃんとした目を持たなければ、この国のサッカーはいつまで経っても次元の低い「面白いゲーム」を続けることになるだろう。
3日後、エディオンスタジアムで日本一が決まる。この試合だけは、奇妙なゴールが決まらないでほしいものだ。
取材・文:熊崎 敬(スポーツライター)