チームのナビスコカップ優勝で一躍全国区に。
ニータン(大分トリニータ)
■ニータンの評価(5段階)
・愛され度:5.0
・ご当地度:3.0
・パーソナリティ:4.5
・オリジナリティ:4.5
・ストーリー性:4.0
・発展性:4.0
大分トリニータのJ3降格が決まった日、私はJ1昇格プレーオフ決勝の取材で長居にいたため、その瞬間をリアルタイムでは見ていない。後日、ハチマキを巻いて気合十分だったニータンが、茫然と立ち尽くす後ろ姿を捉えた写真を見て、無性にいたたまれない気持ちになってしまった。そしてプレーオフ決勝で、心配そうに試合を見つめるセレッソのマスコット、ロビーの健気な姿を思い出した。
マスコットはなにも語らないけれど、出番がない時もちゃんと試合を見ている。だからこそ試合に勝てば大喜びするし、負ければしおらしい姿を見せる。ニータンの背中(というか甲羅)は、降格の深い悲しみと来季への不安をこれ以上ないくらい雄弁に語っていた。
ニータンが初めてファンやサポーターの前に姿を現わしたのは、08年の新体制発表会のことである。大方の感想は「なぜに、亀?」だったそうだ。別府市亀川町にある八幡竈門(はちまんかまどもん)神社が生誕の地とされ、亀の石彫を見ることもできるのだが、多分、後付けの設定だろう。
実はマスコット製作の初期段階では、別の動物の案もあったようだ。しかしクラブは、一般的にはあまり好かれていない爬虫類で、しかもスピーディーなサッカーのイメージとは真逆の亀をあえてモチーフに選んだ。このユニークな発想が大当たり。しかもタイミングが絶妙だった。その年、クラブがナビスコカップを制したことで、ニータンは一気に全国的に知られる存在となったのである。
ニータンは大分サポのみならず、県民からも広く愛されている。理由はなにか? 大きな目と低い鼻、そして丸っこい体型に親しみが感じられるからか。あるいは「おつかめさま」「バイたん」といったブログでのフレーズがウケたからか。どちらも重要なチャームポイントだが、しかし本質ではない。
ニータンが愛される理由、それは彼が「手の掛かるマスコット」だからだ。歩行するのにも介助が必要。急いで移動する時には台車に乗せてスタッフが必死に押さなければならない。この「いつ倒れるか分からない不安定さ」や「常に世話を焼かないと機能しない」といったニータンの仕様は、実は大分というクラブの体質と一脈通じるところがあり、だからこそ大分の人々は彼を愛さずにはいられないのだと私は密かに確信している。
ナビスコカップ優勝の年に生まれたニータンは、その後7年に渡ってクラブとともに歩んできた。もっとも、喜びを爆発させるよりも、落胆と苛立ちのほうが明らかに多かった7年でもあった。最初のJ2降格(09年)、プレーオフ優勝によるJ1復帰(12年)、二度目のJ2降格(13年)、そしてJ1経験クラブでは初となるJ3降格(15年)。その間、クラブは常に深刻な経営危機にも脅かされてきた。それでも、一歩一歩ゆっくりと歩みを進めるニータンの姿に癒され、励まされ、勇気を与えられたファンは少なくないはずだ。
J3からのリスタートとなる来季は、監督も代わり、メンバーも大きく入れ替わることが予想される。それでも大分には、慌てず焦らず、一歩一歩ゆっくりと、かつて立っていた頂きを目指して欲しい。そのお手本は身近にいる。
宇都宮徹壱/うつのみや・てついち 1966年、東京都生まれ。97年より国内外で「文化としてのフットボール」をカメラで切り取る活動を展開中。近著に『フットボール百景』(東邦出版)。自称、マスコット評論家。公式メールマガジン『徹マガ』。http://tetsumaga.com/
■ニータンの評価(5段階)
・愛され度:5.0
・ご当地度:3.0
・パーソナリティ:4.5
・オリジナリティ:4.5
・ストーリー性:4.0
・発展性:4.0
大分トリニータのJ3降格が決まった日、私はJ1昇格プレーオフ決勝の取材で長居にいたため、その瞬間をリアルタイムでは見ていない。後日、ハチマキを巻いて気合十分だったニータンが、茫然と立ち尽くす後ろ姿を捉えた写真を見て、無性にいたたまれない気持ちになってしまった。そしてプレーオフ決勝で、心配そうに試合を見つめるセレッソのマスコット、ロビーの健気な姿を思い出した。
マスコットはなにも語らないけれど、出番がない時もちゃんと試合を見ている。だからこそ試合に勝てば大喜びするし、負ければしおらしい姿を見せる。ニータンの背中(というか甲羅)は、降格の深い悲しみと来季への不安をこれ以上ないくらい雄弁に語っていた。
ニータンが初めてファンやサポーターの前に姿を現わしたのは、08年の新体制発表会のことである。大方の感想は「なぜに、亀?」だったそうだ。別府市亀川町にある八幡竈門(はちまんかまどもん)神社が生誕の地とされ、亀の石彫を見ることもできるのだが、多分、後付けの設定だろう。
実はマスコット製作の初期段階では、別の動物の案もあったようだ。しかしクラブは、一般的にはあまり好かれていない爬虫類で、しかもスピーディーなサッカーのイメージとは真逆の亀をあえてモチーフに選んだ。このユニークな発想が大当たり。しかもタイミングが絶妙だった。その年、クラブがナビスコカップを制したことで、ニータンは一気に全国的に知られる存在となったのである。
ニータンは大分サポのみならず、県民からも広く愛されている。理由はなにか? 大きな目と低い鼻、そして丸っこい体型に親しみが感じられるからか。あるいは「おつかめさま」「バイたん」といったブログでのフレーズがウケたからか。どちらも重要なチャームポイントだが、しかし本質ではない。
ニータンが愛される理由、それは彼が「手の掛かるマスコット」だからだ。歩行するのにも介助が必要。急いで移動する時には台車に乗せてスタッフが必死に押さなければならない。この「いつ倒れるか分からない不安定さ」や「常に世話を焼かないと機能しない」といったニータンの仕様は、実は大分というクラブの体質と一脈通じるところがあり、だからこそ大分の人々は彼を愛さずにはいられないのだと私は密かに確信している。
ナビスコカップ優勝の年に生まれたニータンは、その後7年に渡ってクラブとともに歩んできた。もっとも、喜びを爆発させるよりも、落胆と苛立ちのほうが明らかに多かった7年でもあった。最初のJ2降格(09年)、プレーオフ優勝によるJ1復帰(12年)、二度目のJ2降格(13年)、そしてJ1経験クラブでは初となるJ3降格(15年)。その間、クラブは常に深刻な経営危機にも脅かされてきた。それでも、一歩一歩ゆっくりと歩みを進めるニータンの姿に癒され、励まされ、勇気を与えられたファンは少なくないはずだ。
J3からのリスタートとなる来季は、監督も代わり、メンバーも大きく入れ替わることが予想される。それでも大分には、慌てず焦らず、一歩一歩ゆっくりと、かつて立っていた頂きを目指して欲しい。そのお手本は身近にいる。
宇都宮徹壱/うつのみや・てついち 1966年、東京都生まれ。97年より国内外で「文化としてのフットボール」をカメラで切り取る活動を展開中。近著に『フットボール百景』(東邦出版)。自称、マスコット評論家。公式メールマガジン『徹マガ』。http://tetsumaga.com/