改革とコストカットの波に巻き込まれ…。
名古屋が9日、DF田中マルクス闘莉王(34歳)の退団を発表した。闘莉王はクラブをとおして「今回、ブラジルに帰ってゆっくり考える時間を持ち、私自身が変わらなければいけないという想いに達しました」とコメントしており、苦渋の決断だったようだ。
今季から小倉隆史新監督に率いられる名古屋は、2016年を改革の年と位置付けており、人件費のスリム化と選手層の見直しを進めていた。
昨年11月には、FWノヴァコヴィッチ(36歳)、MFレアンドロ・ドミンゲス(29歳)、MFダニルソン(29歳)ら7選手との契約満了を発表。さらにレギュラーを務めたDF牟田雄祐(25歳)、DF本多勇喜(24歳)を京都に移籍させるなど、多くの主力を放出してきた。
闘莉王は契約延長のオファーを受けていたが、その額は約1億円のダウン提示だったという。
闘莉王はすでに、浦和時代に親交のある鳥取の岡野雅行GMから獲得の打診を受けているというが、去就は未定だ。他クラブからオファーが届く可能性もあり、今後の動向が注目される。
クラブ発表のコメント全文は以下のとおり。
「名古屋グランパスのファン・サポーター、パートナー企業、そしてスタッフの皆様、6年間大変お世話になりました。名古屋での6年間を振り返ると様々な思い出があります。私が移籍してきた2010年、名古屋グランパスはJリーグ初優勝を遂げることができました。移籍後最初のシーズンで優勝できたことは、私にとって非常に思い出深い出来事です。
2011年には、東日本大震災が発生しました。地震が発生したのは、私たちがアウェイの仙台戦に向かう移動中のことでした。震災後、東北出身のJリーガーが集まって、『東北人魂』という支援プロジェクトをスタートさせ、今も東北の子供たちに対し、サッカーを通した地道な支援活動を続けています。
私も水戸ホーリーホックに在籍した経験もあることから、楢崎選手と一緒に、被災した茨城県水戸市の子供たちを慰問しました。その後、愛知トヨタさんのご支援で、東日本大震災のためのチャリティオークションにも協力することができました。
2014年、2015年は西野監督のもと、キャプテンに指名されましたが、期待された成績をあげることができず、本当に申し訳なく思っています。
また、昨年は、私が最初にプロ選手として加入したサンフレッチェ広島が、Jリーグ優勝とクラブワールドカップ3位という偉業を達成しました。広島の森保監督は『平和と命の大切さ』をメッセージとして世界に発信しましたが、私も人として何が大切かを教わりました。
2016年、名古屋グランパスは大変革の年と位置づけています。
広島で2年、水戸で1年、浦和で6年、そして名古屋で6年、プロサッカー選手として闘い続けてきました。今回、ブラジルに帰ってゆっくり考える時間を持ち、私自身が変わらなければいけないという想いに達しました。
名古屋グランパスのファン・サポーター、パートナー企業、そしてスタッフの皆様に、あらためて心から感謝申し上げます」
そのほか、1月9日時点での各クラブの移籍動向はこちら→【J1・J2/42クラブの移籍動向】
今季から小倉隆史新監督に率いられる名古屋は、2016年を改革の年と位置付けており、人件費のスリム化と選手層の見直しを進めていた。
昨年11月には、FWノヴァコヴィッチ(36歳)、MFレアンドロ・ドミンゲス(29歳)、MFダニルソン(29歳)ら7選手との契約満了を発表。さらにレギュラーを務めたDF牟田雄祐(25歳)、DF本多勇喜(24歳)を京都に移籍させるなど、多くの主力を放出してきた。
闘莉王は契約延長のオファーを受けていたが、その額は約1億円のダウン提示だったという。
闘莉王はすでに、浦和時代に親交のある鳥取の岡野雅行GMから獲得の打診を受けているというが、去就は未定だ。他クラブからオファーが届く可能性もあり、今後の動向が注目される。
クラブ発表のコメント全文は以下のとおり。
「名古屋グランパスのファン・サポーター、パートナー企業、そしてスタッフの皆様、6年間大変お世話になりました。名古屋での6年間を振り返ると様々な思い出があります。私が移籍してきた2010年、名古屋グランパスはJリーグ初優勝を遂げることができました。移籍後最初のシーズンで優勝できたことは、私にとって非常に思い出深い出来事です。
2011年には、東日本大震災が発生しました。地震が発生したのは、私たちがアウェイの仙台戦に向かう移動中のことでした。震災後、東北出身のJリーガーが集まって、『東北人魂』という支援プロジェクトをスタートさせ、今も東北の子供たちに対し、サッカーを通した地道な支援活動を続けています。
私も水戸ホーリーホックに在籍した経験もあることから、楢崎選手と一緒に、被災した茨城県水戸市の子供たちを慰問しました。その後、愛知トヨタさんのご支援で、東日本大震災のためのチャリティオークションにも協力することができました。
2014年、2015年は西野監督のもと、キャプテンに指名されましたが、期待された成績をあげることができず、本当に申し訳なく思っています。
また、昨年は、私が最初にプロ選手として加入したサンフレッチェ広島が、Jリーグ優勝とクラブワールドカップ3位という偉業を達成しました。広島の森保監督は『平和と命の大切さ』をメッセージとして世界に発信しましたが、私も人として何が大切かを教わりました。
2016年、名古屋グランパスは大変革の年と位置づけています。
広島で2年、水戸で1年、浦和で6年、そして名古屋で6年、プロサッカー選手として闘い続けてきました。今回、ブラジルに帰ってゆっくり考える時間を持ち、私自身が変わらなければいけないという想いに達しました。
名古屋グランパスのファン・サポーター、パートナー企業、そしてスタッフの皆様に、あらためて心から感謝申し上げます」
そのほか、1月9日時点での各クラブの移籍動向はこちら→【J1・J2/42クラブの移籍動向】