決勝戦でチームを勢い付けた強烈なミドル弾での先制ゴール。

奇跡を起こしたEURO92について、「自分たちが成し遂げたことを理解するのに1か月以上かかった」と、後にイェンセンは振り返っている。 (C) SOCCER DIGEST

ドイツの度肝を抜いた先制ゴール。「どの試合でも全く気負いがなかった」(イェンセン)デンマークは、攻守で多くのスーパープレーを披露した。 (C) SOCCER DIGEST
◇ヨーン・イェンセン:1965年5月3日生まれ デンマーク・コペンハーゲン出身
ヨーロッパネーションズ・カップ時代を含めれば、過去14回行なわれてきた欧州選手権(EURO)。半世紀以上にもおよぶ激闘の歴史のなかで、多くの極上のドラマが生み出されてきた。
そのなかには、多大な驚きを世界中に与えたものも少なくない。その最たるものが、1992年スウェーデン大会での、デンマークの優勝だろう。
予選敗退を喫していたのに、ユーゴスラビアが内戦に対する制裁措置で締め出されたことにより出場権を得、急遽バカンスを中止してスウェーデンに駆け付けた選手たちが、躍動しながら強豪国を次々に撃破。ついに決勝まで勝ち進んだ。
ここまででも、十分に「おとぎ話」として成立しそうなものだが、この北欧の島国は、2年前の世界王者であるドイツからも2点を奪い、欧州王座を手にしてしまったのだから、世界中が驚いたのも当然である。
この決勝戦で前半18分に強烈なミドルによる先制ゴールを決め、ドイツの度肝を抜いたのが、デンマークのMFヨーン・イェンセンだった。この右足による弾丸シュートがチームメイトを勇気付け、また同時に勢い付けて、奇跡のドラマを演出した。
83年にブレンビーでキャリアをスタートし、87年には国内の最優秀選手に選出され、デンマーク代表として初キャップも刻んだイェンセン。運動量豊富な攻守のリンクマンは、88年からの2シーズンをドイツのハンブルクで過ごした後、再びブレンビーに戻った。
そしてキャリアの転機となったEURO92。突然の出場で、選手のコンディションも戦い方も整っていないなかで、イェンセンは中央のMFとしてピッチを縦横無尽に走り回り、チームに落ち着きと自信を与えた。
そして、決勝では前述の先制点。右サイドでボールを奪ったフレミング・ポウルセンがマイナスに折り返したボールに、迷わず右足を一閃! ボールは地を這う弾丸ライナーから一気に浮き上がり、そのあまりの速度にGKボド・イルクナーはボールを見失った。
イェンセンが躍動し、ブライアン・ラウドルップがチャンスを作り、ペーター・シュマイケルがミラクルセーブを連発したデンマークは、その後、さらに1点を加えて2-0の勝利。奇跡の欧州制覇に、イェンセンは「ハッピーなんて言葉だけでは表現できない」と語った。
この大会後、一躍注目の人となった彼は、イングランドの名門アーセナルに加入し、ファーストシーズンでリーグカップ、FAカップ制覇に貢献。翌シーズンには、当時の欧州3大カップのひとつだったカップウィナーズ・カップ優勝も経験する。
デンマーク代表の時と同様、中盤で攻守の繋ぎ役として奮闘するも、なかなかゴールを奪えなかったことから、彼がいつゴールを奪うかがファンの関心事となり、93-94シーズンにOPR戦でついにゴールネットを揺さぶった際には、それが大きなニュースにもなった。
96年夏にアーセナルを去ったイェンセンは、三たびブレンビーに在籍し、99年までプレー。そして01年、ヘルフェルゲというクラブでユニホームを脱いだ。
引退後は指導者としての道に進み、ヘルフェルゲを率いた後、母国の英雄ミカエル・ラウドルップのアシスタントとしてブレンビー、ヘタフェ(スペイン)のベンチに座り、以降も国内外のクラブで指導に携わっている。
さて、EUROのサプライズといえば、決勝戦に限定するなら他に、76年大会でチェコスロバキアが西ドイツ(当時)を抑えて欧州制覇を果たしたことが挙げられる。
世界王者に対して積極的に仕掛けたチェコスロバキアは、2-1でリードを奪うも後半終了間際に追いつかれる。しかし、粘ってPK戦の持ち込み、西ドイツのウリ・ヘーネスの失敗を誘う。最終キッカーのアントニン・パネンカが放ったトリッキーなチップキックは、大きな話題となった。
そしてもうひとつが、2004年大会のギリシャの戴冠だ。開催国ポルトガルに対し、開幕戦(2-1)に引き続いて決勝戦(1-0)でも、勝利を奪った。テクニックとパスワークによるサッカーを、堅固な守備が蹂躙したことで、大きな驚きを世界に発信した。
このようなサプライズは、果たして今夏のフランスでも生み出されるだろうか。
ヨーロッパネーションズ・カップ時代を含めれば、過去14回行なわれてきた欧州選手権(EURO)。半世紀以上にもおよぶ激闘の歴史のなかで、多くの極上のドラマが生み出されてきた。
そのなかには、多大な驚きを世界中に与えたものも少なくない。その最たるものが、1992年スウェーデン大会での、デンマークの優勝だろう。
予選敗退を喫していたのに、ユーゴスラビアが内戦に対する制裁措置で締め出されたことにより出場権を得、急遽バカンスを中止してスウェーデンに駆け付けた選手たちが、躍動しながら強豪国を次々に撃破。ついに決勝まで勝ち進んだ。
ここまででも、十分に「おとぎ話」として成立しそうなものだが、この北欧の島国は、2年前の世界王者であるドイツからも2点を奪い、欧州王座を手にしてしまったのだから、世界中が驚いたのも当然である。
この決勝戦で前半18分に強烈なミドルによる先制ゴールを決め、ドイツの度肝を抜いたのが、デンマークのMFヨーン・イェンセンだった。この右足による弾丸シュートがチームメイトを勇気付け、また同時に勢い付けて、奇跡のドラマを演出した。
83年にブレンビーでキャリアをスタートし、87年には国内の最優秀選手に選出され、デンマーク代表として初キャップも刻んだイェンセン。運動量豊富な攻守のリンクマンは、88年からの2シーズンをドイツのハンブルクで過ごした後、再びブレンビーに戻った。
そしてキャリアの転機となったEURO92。突然の出場で、選手のコンディションも戦い方も整っていないなかで、イェンセンは中央のMFとしてピッチを縦横無尽に走り回り、チームに落ち着きと自信を与えた。
そして、決勝では前述の先制点。右サイドでボールを奪ったフレミング・ポウルセンがマイナスに折り返したボールに、迷わず右足を一閃! ボールは地を這う弾丸ライナーから一気に浮き上がり、そのあまりの速度にGKボド・イルクナーはボールを見失った。
イェンセンが躍動し、ブライアン・ラウドルップがチャンスを作り、ペーター・シュマイケルがミラクルセーブを連発したデンマークは、その後、さらに1点を加えて2-0の勝利。奇跡の欧州制覇に、イェンセンは「ハッピーなんて言葉だけでは表現できない」と語った。
この大会後、一躍注目の人となった彼は、イングランドの名門アーセナルに加入し、ファーストシーズンでリーグカップ、FAカップ制覇に貢献。翌シーズンには、当時の欧州3大カップのひとつだったカップウィナーズ・カップ優勝も経験する。
デンマーク代表の時と同様、中盤で攻守の繋ぎ役として奮闘するも、なかなかゴールを奪えなかったことから、彼がいつゴールを奪うかがファンの関心事となり、93-94シーズンにOPR戦でついにゴールネットを揺さぶった際には、それが大きなニュースにもなった。
96年夏にアーセナルを去ったイェンセンは、三たびブレンビーに在籍し、99年までプレー。そして01年、ヘルフェルゲというクラブでユニホームを脱いだ。
引退後は指導者としての道に進み、ヘルフェルゲを率いた後、母国の英雄ミカエル・ラウドルップのアシスタントとしてブレンビー、ヘタフェ(スペイン)のベンチに座り、以降も国内外のクラブで指導に携わっている。
さて、EUROのサプライズといえば、決勝戦に限定するなら他に、76年大会でチェコスロバキアが西ドイツ(当時)を抑えて欧州制覇を果たしたことが挙げられる。
世界王者に対して積極的に仕掛けたチェコスロバキアは、2-1でリードを奪うも後半終了間際に追いつかれる。しかし、粘ってPK戦の持ち込み、西ドイツのウリ・ヘーネスの失敗を誘う。最終キッカーのアントニン・パネンカが放ったトリッキーなチップキックは、大きな話題となった。
そしてもうひとつが、2004年大会のギリシャの戴冠だ。開催国ポルトガルに対し、開幕戦(2-1)に引き続いて決勝戦(1-0)でも、勝利を奪った。テクニックとパスワークによるサッカーを、堅固な守備が蹂躙したことで、大きな驚きを世界に発信した。
このようなサプライズは、果たして今夏のフランスでも生み出されるだろうか。

76年、西ドイツ相手に大金星を挙げたチェコスロバキア。テクニカルなMFで攻撃をリードしたパネンカのPK戦でのキックは、後にフランチェスコ・トッティ、ジネディーヌ・ジダン、リオネル・メッシら、多くの名手によって大事な場面で再現された。写真は昨年12月、EURO2016の組み合わせ抽選会に出席したパネンカ(左はオランダのルート・フリット)。 (C) Getty Images

大会前は参加16か国のなかで最低評価だった04年大会のギリシャ。そんなチームが、ひたすら守備を固め、攻撃はカウンターに活路を求めた結果、驚くべき結果を生み出した。写真は圧倒的な空中戦の強さを見せ、決勝戦で唯一のゴールを挙げたアンゲロス・カリステアス。 (C) Getty Images