前年のコンフェデでも互角の戦い。誰もが希望を抱いていた。
川口能活、41歳。彼のサッカー人生は、言い換えれば、日本代表の“世界挑戦”の歴史と重ね合わせることができる。絶対に負けられない戦いのなかで、彼はどんなことを考えていたのか。「川口能活クロニクル」と題した、日本サッカー界のレジェンドが振り返る名勝負の知られざる舞台裏——。
第5回:2006年ドイツ・ワールドカップ グループリーグ第1戦
日本 vs オーストラリア
■思い出したくないワーストゲーム
自分のサッカー人生のなかで、最も思い出したくないゲーム。それが、2006年ドイツワールドカップ・グループリーグ初戦のオーストラリア戦です。
2006年6月12日、カイザースラウテルン。
この日、ジーコジャパンと呼ばれた僕たち日本代表は、ワールドカップの大事な初戦を迎えました。チーム状態は決して万全ではありませんでしたが、まさかオーストラリアを相手にあんな悲劇的な結末を迎えるとは思ってもいませんでした。
いま振り返っても、当時のジーコジャパンは本当に魅力的なチームでした。欧州組と呼ばれるヨーロッパでプレーしている選手も増え、ヒデ(中田英寿)をはじめとした選手個々のクオリティは高く、世界の強豪と呼ばれる国とのテストマッチでも互角に渡り合えるレベルにありました。
実際、前年のコンフェデレーションズカップでも、ギリシャ(〇1-0)、メキシコ(●1-2)、ブラジル(△2-2)との戦いを通じて確かな手応えをつかんでいました。タツ(久保竜彦)の負傷離脱は大きな痛手ではあったものの、チーム作りも順調に進んでいるように思えました。日本は4年前の2002年大会で決勝トーナメント進出を果たしましたが、ジーコジャパンはそれ以上の結果を残せるのではないかと、誰もが大きな希望を抱いていました。
そして大会直前の5月30日にドイツ、6月4日にマルタとのテストマッチを経て、運命のオーストラリア戦へと臨むのですが、5月30日のドイツ戦で日本が予想以上のパフォーマンスを見せたことが、皮肉にも、チームの歯車を狂わせることになってしまったのです。
第5回:2006年ドイツ・ワールドカップ グループリーグ第1戦
日本 vs オーストラリア
■思い出したくないワーストゲーム
自分のサッカー人生のなかで、最も思い出したくないゲーム。それが、2006年ドイツワールドカップ・グループリーグ初戦のオーストラリア戦です。
2006年6月12日、カイザースラウテルン。
この日、ジーコジャパンと呼ばれた僕たち日本代表は、ワールドカップの大事な初戦を迎えました。チーム状態は決して万全ではありませんでしたが、まさかオーストラリアを相手にあんな悲劇的な結末を迎えるとは思ってもいませんでした。
いま振り返っても、当時のジーコジャパンは本当に魅力的なチームでした。欧州組と呼ばれるヨーロッパでプレーしている選手も増え、ヒデ(中田英寿)をはじめとした選手個々のクオリティは高く、世界の強豪と呼ばれる国とのテストマッチでも互角に渡り合えるレベルにありました。
実際、前年のコンフェデレーションズカップでも、ギリシャ(〇1-0)、メキシコ(●1-2)、ブラジル(△2-2)との戦いを通じて確かな手応えをつかんでいました。タツ(久保竜彦)の負傷離脱は大きな痛手ではあったものの、チーム作りも順調に進んでいるように思えました。日本は4年前の2002年大会で決勝トーナメント進出を果たしましたが、ジーコジャパンはそれ以上の結果を残せるのではないかと、誰もが大きな希望を抱いていました。
そして大会直前の5月30日にドイツ、6月4日にマルタとのテストマッチを経て、運命のオーストラリア戦へと臨むのですが、5月30日のドイツ戦で日本が予想以上のパフォーマンスを見せたことが、皮肉にも、チームの歯車を狂わせることになってしまったのです。