葛藤はあったが、最後は自分の「戦いたい」という一心で決めた。
12年間過ごした広島を離れ、名古屋への移籍を決断した佐藤寿人。稀代のストライカーが新たな挑戦に身を投じた理由や、新天地での意気込みを語った記者会見&囲み取材でにコメント全文をお届けする。
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――今の率直な気持ちは?
自分が決断してからそれほど日にちは経っていないし、寂しさはあります。まだ今季も終わっていないので、来季へ頭が切り替わっていない部分もある。自分が広島を、大好きなクラブを離れるというのは、正直まだ実感が湧きません。自分で決めたことですが、自分のことではないような、それだけの想いがクラブとこの街にはあります。その寂しさを自分自身も、乗り越えないといけない。
――移籍への葛藤については?
一番の理想は、この素晴らしいクラブ・街で現役をまっとうし、先日素晴らしい引退セレモニーを行なった森﨑浩司のような形で終えたいと思っていました。ここ数年、ベテランと呼ばれる年齢になり、プレーを続けていくなかで、そういう想いはありました。
ただ、今季なかなか自分がチームの力になれていなかった悔しさや葛藤があるなかで、「もっと自分は戦いたい。どんな時も、チームの勝利のために貢献したい」という気持ちが強かった。
今回の移籍は、自分にとっては本当に難しい決断です。12年間、自分の人生の約3分の1を、広島で過ごしてきた。それも、ただの12年ではなく、素晴らしい時も苦しい時もこのクラブで戦ってきた。自分からわざわざ離れる必要はないのかなと思っていました。最終的には、クラブのフロント・スタッフの方々の理解がある中で話が前に進みましたし、この決断でたくさんの方々に迷惑をかけてしまった部分もあると思います。最終的には僕のわがままを理解してくれた。そこは本当にクラブに感謝しています。
――誰に相談をしましたか?
まず、妻に相談しました。僕の気持ちをわかってくれている。悔しい想いをしている時も、クラブが結果を出せている時も、僕の気持ちを分かってくれていた。最終的には僕の決断を、家族でサポートしていこうと言ってくれました。
3人の子どもがいますし、生活のベースは広島ですから、名古屋に行くとなればいろんな負担が出てきます。そういう意味では家族の理解を得られなければ話は前に進みません。
サッカーの部分ではチームメイトにも相談しました。これまでいろんな形で僕に関わってくれた人生経験の豊富な方々にも相談しました。簡単な道でないのは理解しているつもりです。3回優勝したクラブを離れる、たくさんの勝利をともに分かち合ってきた仲間とのプレーをあきらめなければならないのは、非常の難しいというか、なかなかできないことかなと思います。ここまで自分だけでやってきたわけではないので、そのチームメイトと来季一緒にサッカーができないのは悲しいです。
プロの世界ですから選手が出る、入るのは普通に起こることです。ずっと同じメンバーで、仲間でプレーすることが、まずないのがプロの世界。それを諦める決断をするのは、つらいというか悲しい気持ちがありました。いろんな方に相談はしましたが、最終的には自分がどうしたいかというところで決断しました。僕のわがままを最大限理解してくれて、尊重してくれた家族とクラブのスタッフ、それがなければこの決断は出来なかったので感謝したいです。
――それでも移籍を決断したのは、ピッチでもっと表現したいという気持ちだったということですか?
チームは今、クラブとしての転換期にあります。そんななか、日本人選手としてはカズ(森﨑和幸)やコウジ(森﨑浩司)とともに最年長である僕に対して、クラブは「来年も戦力だ」と言ってくれました。
ただ、今シーズンはコンスタントにピッチに立って結果を残せなかった。もちろん来季、ポジションを奪い返すんだという考え方もあります。でも、クラブが新しい方向に向っていくなかで、これから自分がどれだけ結果を残せるかという想いがありました。クラブからは最大限の残留への言葉を頂いたのですが、一方で「ピッチの上でフル稼働したい」という想いもありました。
繰り返しになりますが、広島で現役をまっとうしたいという気持ちは、ここ数年ずっとありました。コウジの素晴らしい引退セレモニーを見て、「来年はこういう形で自分が引退を迎えるんじゃないか」という気持ちにもなりました。
そのなかで、その後の2試合で出場機会がなく、その時に思ったのが悔しさでした。「自分はまだまだやれる」「まだ、やめたくない」「まだ、戦いたい」という気持ちを強く感じました。大好きな街、大好きなクラブを離れるのは、自分にとって難しい決断でした。考えても、考えても、答えがでない。でも、早く決めないと、名古屋にも広島にも迷惑がかかるので、最後は自分の「戦いたい」という一心で決めました。
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――今の率直な気持ちは?
自分が決断してからそれほど日にちは経っていないし、寂しさはあります。まだ今季も終わっていないので、来季へ頭が切り替わっていない部分もある。自分が広島を、大好きなクラブを離れるというのは、正直まだ実感が湧きません。自分で決めたことですが、自分のことではないような、それだけの想いがクラブとこの街にはあります。その寂しさを自分自身も、乗り越えないといけない。
――移籍への葛藤については?
一番の理想は、この素晴らしいクラブ・街で現役をまっとうし、先日素晴らしい引退セレモニーを行なった森﨑浩司のような形で終えたいと思っていました。ここ数年、ベテランと呼ばれる年齢になり、プレーを続けていくなかで、そういう想いはありました。
ただ、今季なかなか自分がチームの力になれていなかった悔しさや葛藤があるなかで、「もっと自分は戦いたい。どんな時も、チームの勝利のために貢献したい」という気持ちが強かった。
今回の移籍は、自分にとっては本当に難しい決断です。12年間、自分の人生の約3分の1を、広島で過ごしてきた。それも、ただの12年ではなく、素晴らしい時も苦しい時もこのクラブで戦ってきた。自分からわざわざ離れる必要はないのかなと思っていました。最終的には、クラブのフロント・スタッフの方々の理解がある中で話が前に進みましたし、この決断でたくさんの方々に迷惑をかけてしまった部分もあると思います。最終的には僕のわがままを理解してくれた。そこは本当にクラブに感謝しています。
――誰に相談をしましたか?
まず、妻に相談しました。僕の気持ちをわかってくれている。悔しい想いをしている時も、クラブが結果を出せている時も、僕の気持ちを分かってくれていた。最終的には僕の決断を、家族でサポートしていこうと言ってくれました。
3人の子どもがいますし、生活のベースは広島ですから、名古屋に行くとなればいろんな負担が出てきます。そういう意味では家族の理解を得られなければ話は前に進みません。
サッカーの部分ではチームメイトにも相談しました。これまでいろんな形で僕に関わってくれた人生経験の豊富な方々にも相談しました。簡単な道でないのは理解しているつもりです。3回優勝したクラブを離れる、たくさんの勝利をともに分かち合ってきた仲間とのプレーをあきらめなければならないのは、非常の難しいというか、なかなかできないことかなと思います。ここまで自分だけでやってきたわけではないので、そのチームメイトと来季一緒にサッカーができないのは悲しいです。
プロの世界ですから選手が出る、入るのは普通に起こることです。ずっと同じメンバーで、仲間でプレーすることが、まずないのがプロの世界。それを諦める決断をするのは、つらいというか悲しい気持ちがありました。いろんな方に相談はしましたが、最終的には自分がどうしたいかというところで決断しました。僕のわがままを最大限理解してくれて、尊重してくれた家族とクラブのスタッフ、それがなければこの決断は出来なかったので感謝したいです。
――それでも移籍を決断したのは、ピッチでもっと表現したいという気持ちだったということですか?
チームは今、クラブとしての転換期にあります。そんななか、日本人選手としてはカズ(森﨑和幸)やコウジ(森﨑浩司)とともに最年長である僕に対して、クラブは「来年も戦力だ」と言ってくれました。
ただ、今シーズンはコンスタントにピッチに立って結果を残せなかった。もちろん来季、ポジションを奪い返すんだという考え方もあります。でも、クラブが新しい方向に向っていくなかで、これから自分がどれだけ結果を残せるかという想いがありました。クラブからは最大限の残留への言葉を頂いたのですが、一方で「ピッチの上でフル稼働したい」という想いもありました。
繰り返しになりますが、広島で現役をまっとうしたいという気持ちは、ここ数年ずっとありました。コウジの素晴らしい引退セレモニーを見て、「来年はこういう形で自分が引退を迎えるんじゃないか」という気持ちにもなりました。
そのなかで、その後の2試合で出場機会がなく、その時に思ったのが悔しさでした。「自分はまだまだやれる」「まだ、やめたくない」「まだ、戦いたい」という気持ちを強く感じました。大好きな街、大好きなクラブを離れるのは、自分にとって難しい決断でした。考えても、考えても、答えがでない。でも、早く決めないと、名古屋にも広島にも迷惑がかかるので、最後は自分の「戦いたい」という一心で決めました。