「得意なボランチとしてプレーを続け、大きく成長させてもらった1年でした」
「公式戦がなくなった11月はモチベーションが難しくなる時期でしたけれど、ここまで練習してやってきたことをしっかり出したかった。僕がプレーしていた45分間の結果は0-0でしたけれど、手応えの大きな試合でした」
11月26日、いわきFCの練習試合を、“仙台の背番号18”、三田啓貴は清々しい表情で振り返った。
FC東京から期限付き移籍で今季加入。開幕戦からボランチとして先発に定着し、攻守に獅子奮迅の活躍を見せた。ホーム最終戦では、チームの年間MVPにも選出されたが、期限付き移籍の身ということで、このオフの動向が注目されていた。
その三田が、練習試合前日の25日に、来季より完全移籍で仙台に加入することがチームから発表された。
「このチームにとって、本当に大きなこと。故郷を離れてこの仙台でやる、という決断をするのは、本当に難しかったと思います」と気遣うのは、今季を前に三田をこのチームへと招くため自ら口説いた、渡邉晋監督だ。
この指揮官の言葉にあるように、三田は生まれも育ちも東京。そして彼のサッカー選手としてのキャリアのなかで、FC東京というクラブは大きな位置を占める。FC東京のアカデミー育ちであり、明治大学在籍時にJFA・Jリーグ特別指定選手としてプレーしていたクラブもFC東京だった。
その特別指定選手時代の2012年7月25日に、ナビスコカップ準々決勝でJデビューを果たした場所が、ユアテックスタジアム仙台だった。加えて、この2016年に期限付き移籍した場所である仙台は、東京を離れて初めて長く暮らす場所でもある。
そんな縁が、完全移籍という縁になるまでに、三田自身にも葛藤があった。
「あのジュビロ戦(※第2ステージ最終節)が終わってから決めるまで、本当に難しい日々でした。練習も、悩みながらやっていたところもあって……」
冒頭の言葉にあるようにモチベーション維持が難しい時期の練習を、三田は盛り上げていたひとりだ。その背景で、彼自身は大きな悩みを抱えていた。そこに、FC東京というクラブへの愛情も見てとれる。
それが、仙台という地での挑戦に至った理由はなにか。三田はその回答には迷わなかった。
「チームが自分を必要としていることが大きかった」というシンプルな答えには、どこで必要とされているか、が続く。「このチームに来て、自分は得意なボランチとしてプレーを続け、大きく成長させてもらった1年でした」。
11月26日、いわきFCの練習試合を、“仙台の背番号18”、三田啓貴は清々しい表情で振り返った。
FC東京から期限付き移籍で今季加入。開幕戦からボランチとして先発に定着し、攻守に獅子奮迅の活躍を見せた。ホーム最終戦では、チームの年間MVPにも選出されたが、期限付き移籍の身ということで、このオフの動向が注目されていた。
その三田が、練習試合前日の25日に、来季より完全移籍で仙台に加入することがチームから発表された。
「このチームにとって、本当に大きなこと。故郷を離れてこの仙台でやる、という決断をするのは、本当に難しかったと思います」と気遣うのは、今季を前に三田をこのチームへと招くため自ら口説いた、渡邉晋監督だ。
この指揮官の言葉にあるように、三田は生まれも育ちも東京。そして彼のサッカー選手としてのキャリアのなかで、FC東京というクラブは大きな位置を占める。FC東京のアカデミー育ちであり、明治大学在籍時にJFA・Jリーグ特別指定選手としてプレーしていたクラブもFC東京だった。
その特別指定選手時代の2012年7月25日に、ナビスコカップ準々決勝でJデビューを果たした場所が、ユアテックスタジアム仙台だった。加えて、この2016年に期限付き移籍した場所である仙台は、東京を離れて初めて長く暮らす場所でもある。
そんな縁が、完全移籍という縁になるまでに、三田自身にも葛藤があった。
「あのジュビロ戦(※第2ステージ最終節)が終わってから決めるまで、本当に難しい日々でした。練習も、悩みながらやっていたところもあって……」
冒頭の言葉にあるようにモチベーション維持が難しい時期の練習を、三田は盛り上げていたひとりだ。その背景で、彼自身は大きな悩みを抱えていた。そこに、FC東京というクラブへの愛情も見てとれる。
それが、仙台という地での挑戦に至った理由はなにか。三田はその回答には迷わなかった。
「チームが自分を必要としていることが大きかった」というシンプルな答えには、どこで必要とされているか、が続く。「このチームに来て、自分は得意なボランチとしてプレーを続け、大きく成長させてもらった1年でした」。