カルチョの歴史にその名を残すファンタジスタ、アレッサンドロ・デル・ピエロ。ユベントス(1993-2012年)、イタリア代表(95-08年)で数々の栄光を手にした彼は、多くのスーパーゴールを生み出し、世界中のファンを魅了し続けた。
彼を語る上で欠かせない、「デル・ピエロ・ゾーン」というゴール左前45度の位置を意味するワード。彼の能力や魅力が最も発揮される“聖域”であり、その存在が世界中で認識されたのは、95-96シーズンのチャンピオンズ・リーグ(CL)あたりからだろう。
グループステージのドルトムント戦(9月13日)、カウンターから左タッチライン際でボールを受けたデル・ピエロは前方へ突き進み、敵陣深くで方向を変えると、マイナス気味にカットイン。DFを細かいステップでかわし、GKの位置を確認してから頭上を越す正確なシュートをゴール右隅に流し込んだ。
さらにステアウア・ブカレスト戦(9月27日)では、エリア左手前でロングパスを一発で足元に収め、対峙したDFをフェイントで翻弄しながら、抜き切る前にカーブをかけて、やはりゴール右隅へ。懸命に手を伸ばすGKを嘲笑うかのように、命を吹き込まれたボールは美しい曲線を描いてネットを揺らした。
分かっていても止められない「デル・ピエロ・ゾーン」での妙技からは実に多くのゴールが生まれ、前述のプレー以外にも、前に抜け出ての左足でのシュート、右足でのループ、あるいは縦パスを受けてのダイレクトボレーなどパターンは様々であり、またこの位置でのFKも彼は得意とした。
そんな必殺の武器を持っていたデル・ピエロだが、そのキャリアにおいて最も美しいといわれるゴールは、ユベントスに加わって2シーズン目の94年12月4日、セリエAのフィオレンティーナ戦で決めた、歴史的なボレーシュートだ。
真後ろから上げられたコントロールの難しい浮き球のパスに対し、2人のDFに挟まれながら正確に右足のアウトサイドで合わせ、名GKフランチェスコ・トルドの牙城を破った一撃は、イタリア全土から絶賛され、デル・ピエロは一躍スターの仲間入りを果たした。
後にスクデットを獲得するこのシーズンの分岐点となったこの一戦で、2点のビハインドから反撃の口火を切った(最終的に3-2の逆転勝利)芸術弾は、ユベントス首脳陣にロベルト・バッジョからデル・ピエロへの王位継承を決断させたほど。まさに、歴史を変えたゴールだった。
そのキャリアにおいて数えられないほどの勝利の喜びを味わったデル・ピエロだが、自らのゴールでタイトルをチームにもたらした試合といえば、96年11月26日のインターコンチネンタルカップ「トヨタカップ」だろう。
南米王者リーベルとの息詰まるような究極の戦いのなか、CKでジネディーヌ・ジダンが入れたクロスが流れたところをファーサイドで拾ったデル・ピエロは、トラップから即反転して右足を一閃。矢のようにゴール右隅に突き刺し、世界一を決めるとともに、自身はMVPに選出された。
逆に勝利には結び付かなかったものの、印象的だったのが96-97シーズンCL決勝、ドルトムント戦の追撃弾。2点を追う状況で、左から入ったライナー性のクロスを、デル・ピエロはゴール前でジャンプしながらボール跨いでヒールに当て、わずかに軌道を変えてゴールに流し込んだのだ。
最後にイタリア代表では、06年ドイツ・ワールドカップ準決勝、延長戦でカウンターからアルベルト・ジラルディーノのヒールパスを受け、右足で冷静にイェンス・レーマンの頭上を破って開催国にトドメを刺したゴールは、彼だけでなく、イタリア国民にとっても永遠に忘れ得ぬハイライトシーンとなった。
プレーのバリエーションが豊富で、多彩なファンタジーを振りまいたデル・ピエロ。2014年に栄光のキャリアは幕を閉じたが、そのゴール伝説は永遠に語り継がれていく。