コーチやスタッフとの関係を非常に重視する分析家だ
西野朗氏が日本代表監督に就任した。
ハリルホジッチ監督解任の理由、西野監督誕生の経緯などなど、今ひとつ不明で突っ込みたいところは山ほどある。ただ、もう動き出した以上、西野監督に任せるしかない。
突如として大役を担うことになり、加茂周、岡田武史に続いて日本人として3人目の日本代表監督になった西野朗とは、どういう男なのか。指導者としてのキャリアを振り返ってみたい。
西野監督は90年に現役を引退した後、クラブでの監督やコーチの経験がないまま、1991年にU-20日本代表監督になった。さらに94年にU-23日本代表監督に就任したわけだが、彼の名前が一躍脚光を浴びたのは、96年のオリンピック最終予選を28年ぶりに突破し、アトランタ五輪の出場権を獲得した時だ。93年の「ドーハの悲劇」でアメリカ・ワールドカップ出場の夢を断たれた暗澹たる時代に、世界への扉をこじ開けたのだ。
なんにしても最初に突破するのが一番難しい。
西野監督も非常に苦しんだ。アトランタ五輪の最終予選は、8チームが4チームずつに分かれ、上位2チームが準決勝に進出し、3チームが五輪出場権を得られるレギュレーションだった。当時の日本はアジアでは韓国に歯が立たず、マレーシアやタイともいい勝負をしていた時代。初戦のイラク戦をドローで終えた後、同グループのオマーン、UAEの分析をすぐに進め、同時に準決勝で当たるであろう韓国やサウジアラビアの情報を収集した。
ハリルホジッチ監督解任の理由、西野監督誕生の経緯などなど、今ひとつ不明で突っ込みたいところは山ほどある。ただ、もう動き出した以上、西野監督に任せるしかない。
突如として大役を担うことになり、加茂周、岡田武史に続いて日本人として3人目の日本代表監督になった西野朗とは、どういう男なのか。指導者としてのキャリアを振り返ってみたい。
西野監督は90年に現役を引退した後、クラブでの監督やコーチの経験がないまま、1991年にU-20日本代表監督になった。さらに94年にU-23日本代表監督に就任したわけだが、彼の名前が一躍脚光を浴びたのは、96年のオリンピック最終予選を28年ぶりに突破し、アトランタ五輪の出場権を獲得した時だ。93年の「ドーハの悲劇」でアメリカ・ワールドカップ出場の夢を断たれた暗澹たる時代に、世界への扉をこじ開けたのだ。
なんにしても最初に突破するのが一番難しい。
西野監督も非常に苦しんだ。アトランタ五輪の最終予選は、8チームが4チームずつに分かれ、上位2チームが準決勝に進出し、3チームが五輪出場権を得られるレギュレーションだった。当時の日本はアジアでは韓国に歯が立たず、マレーシアやタイともいい勝負をしていた時代。初戦のイラク戦をドローで終えた後、同グループのオマーン、UAEの分析をすぐに進め、同時に準決勝で当たるであろう韓国やサウジアラビアの情報を収集した。
しかし、現在のようにすぐに対戦国の映像が手に入る時代ではない。西野監督は最終予選前に対戦国の映像や情報を集めるために現地に人を派遣し、最終予選中はスタッフを変装させたり、木に登って練習を見て選手を確認したり、情報を集めた。
96年当時はパソコンがまだ普及しておらず、相手国の布陣、選手のウイークポイント、ストロングポイント、対戦国チームの傾向などの情報データを分析担当の小野剛らスタッフがワープロなどで作成した。また、小野は集めたビデオを編集し、対戦国の注意選手の癖や弱点などを編集し、それをミーティングで見せた。
スタッフが朝、用事で西野監督の部屋に行くと、その資料が部屋中に散らかり、朝まで研究・分析していた跡が見られたという。その努力が準決勝でサウジアラビア撃破という結果につながった。
ここで見えるのは、コーチングスタッフへの信頼と緻密な分析家としての一面だ。
「チームを強くするためにはコーチの力が必要。サッカー観を共有し、強い信念を持ち続けなければならない」
そう言うように、西野監督はコーチやスタッフとの関係を非常に重視している。
96年当時はパソコンがまだ普及しておらず、相手国の布陣、選手のウイークポイント、ストロングポイント、対戦国チームの傾向などの情報データを分析担当の小野剛らスタッフがワープロなどで作成した。また、小野は集めたビデオを編集し、対戦国の注意選手の癖や弱点などを編集し、それをミーティングで見せた。
スタッフが朝、用事で西野監督の部屋に行くと、その資料が部屋中に散らかり、朝まで研究・分析していた跡が見られたという。その努力が準決勝でサウジアラビア撃破という結果につながった。
ここで見えるのは、コーチングスタッフへの信頼と緻密な分析家としての一面だ。
「チームを強くするためにはコーチの力が必要。サッカー観を共有し、強い信念を持ち続けなければならない」
そう言うように、西野監督はコーチやスタッフとの関係を非常に重視している。