昨季の天皇杯では快進撃のきっかけとなる活躍。
山形が初めてJ1の舞台に立った2009年の開幕戦は、先発11人のうち実に6人が、個人としても初のJ1だった。磐田とのアウェー戦を6-2と快勝したこととも相まって、当時はちょっとした話題になった。
あの時に比べると、4年ぶりにJ1に復帰する山形の顔ぶれはたくましい。昨季の主力でJ1初陣となるのは宮阪政樹とキム・ボムヨンくらいだろう。他は皆、酸いも甘いもJ1の味を知り、このステージに帰って来る日を待ち望んで来た選手ばかりだ。
萬代宏樹もそのひとりである。
福島東高から当時J2の仙台に加入した長身フォワードは、プロ4年目の07年に40試合に出場。14得点をあげ、J1磐田からオファーを受けた。「後にも先にもあんなに悩んだことはない」というほど迷った末に移籍。深い愛着のあった仙台を離れてでも、より高いレベルで自分を磨こうと下した決断だった。
08、09年と磐田に在籍(ちなみに冒頭で触れた09年の山形との開幕戦に萬代は途中出場している)。華々しい結果は残せなかったが、中山雅史、前田遼一といった日本を代表するストライカーと一緒にプレーして学んだものの大きさは計り知れない。
その後J2鳥栖、草津を経て、2012年から再昇格を目指す山形でプレー。この3年間、結果が出ない難しい時期も多かった山形にあって、萬代はおそらく、外から見る以上にチームに不可欠な存在になっている。短い時間の途中出場が続くなかでも練習への真剣な取り組みは変わらず、ピッチを離れてもムードメーカーとしてチームを盛り上げた。
さらに忘れてはならない昨季の天皇杯。最終的に決勝戦まで駒を進めたトーナメントにおいて、3回戦(対ソニー仙台)、4回戦(対鳥栖)の決勝点をあげたのはこの男だ。両得点をアシストした日髙慶太と共に、いつ訪れるか分からないチャンスに向かって続けてきた準備の成果をピンポイントで披露した。ただ、残念ながら決勝の舞台に立つことはできなかった。G大阪の壁に跳ね返された試合の後で、フル出場した宮阪はこう言った。
「悔しさの半分は、負けたこと。残りの半分は、バンさん(萬代)や(日髙)慶太と一緒にピッチに立てなかったこと」
一緒に戦いたかったと言ってくれる仲間の期待に応えて、指揮官の信頼に足るアピールができなかった不甲斐なさは、自分自身が一番感じている。だからこそ、今季に賭ける思いは強い。
故郷・福島県への思いもある。東日本大震災が発生した翌年に山形に加入した萬代は、「萬代シート」を設置。12、13年は福島県から山形県内に避難している人たちをホームゲームに招待した。昨季は福島県内のスポーツ少年団の子供たちを招待。そして今年も萬代シートは継続し、さらに広く福島県内の観戦希望者を募れるよう地元メディアの協力を仰ぐ予定だ。
「東北人魂(を持つJ選手の会)のイベントに参加していても、復興を応援する活動はまだまだ続けなければと感じている。直接的になにかできるわけではないけれど、モンテディオが頑張って、個人的にも僕が活躍すれば福島のニュースにもなる。そうやって明るい話題を届けられればいいなと。だから結局、僕が頑張らないといけないんですけどね(笑)。まずは試合に出られるように」
萬代にとっては6年ぶりのJ1。3.11を前にした開幕戦は、古巣仙台とのみちのくダービーだ。願ってもないお膳立てではないか。なんとしても開幕メンバー入りを勝ち取って、ユアスタで躍動する18番を見せてもらいたい。
取材・文:頼野亜唯子
あの時に比べると、4年ぶりにJ1に復帰する山形の顔ぶれはたくましい。昨季の主力でJ1初陣となるのは宮阪政樹とキム・ボムヨンくらいだろう。他は皆、酸いも甘いもJ1の味を知り、このステージに帰って来る日を待ち望んで来た選手ばかりだ。
萬代宏樹もそのひとりである。
福島東高から当時J2の仙台に加入した長身フォワードは、プロ4年目の07年に40試合に出場。14得点をあげ、J1磐田からオファーを受けた。「後にも先にもあんなに悩んだことはない」というほど迷った末に移籍。深い愛着のあった仙台を離れてでも、より高いレベルで自分を磨こうと下した決断だった。
08、09年と磐田に在籍(ちなみに冒頭で触れた09年の山形との開幕戦に萬代は途中出場している)。華々しい結果は残せなかったが、中山雅史、前田遼一といった日本を代表するストライカーと一緒にプレーして学んだものの大きさは計り知れない。
その後J2鳥栖、草津を経て、2012年から再昇格を目指す山形でプレー。この3年間、結果が出ない難しい時期も多かった山形にあって、萬代はおそらく、外から見る以上にチームに不可欠な存在になっている。短い時間の途中出場が続くなかでも練習への真剣な取り組みは変わらず、ピッチを離れてもムードメーカーとしてチームを盛り上げた。
さらに忘れてはならない昨季の天皇杯。最終的に決勝戦まで駒を進めたトーナメントにおいて、3回戦(対ソニー仙台)、4回戦(対鳥栖)の決勝点をあげたのはこの男だ。両得点をアシストした日髙慶太と共に、いつ訪れるか分からないチャンスに向かって続けてきた準備の成果をピンポイントで披露した。ただ、残念ながら決勝の舞台に立つことはできなかった。G大阪の壁に跳ね返された試合の後で、フル出場した宮阪はこう言った。
「悔しさの半分は、負けたこと。残りの半分は、バンさん(萬代)や(日髙)慶太と一緒にピッチに立てなかったこと」
一緒に戦いたかったと言ってくれる仲間の期待に応えて、指揮官の信頼に足るアピールができなかった不甲斐なさは、自分自身が一番感じている。だからこそ、今季に賭ける思いは強い。
故郷・福島県への思いもある。東日本大震災が発生した翌年に山形に加入した萬代は、「萬代シート」を設置。12、13年は福島県から山形県内に避難している人たちをホームゲームに招待した。昨季は福島県内のスポーツ少年団の子供たちを招待。そして今年も萬代シートは継続し、さらに広く福島県内の観戦希望者を募れるよう地元メディアの協力を仰ぐ予定だ。
「東北人魂(を持つJ選手の会)のイベントに参加していても、復興を応援する活動はまだまだ続けなければと感じている。直接的になにかできるわけではないけれど、モンテディオが頑張って、個人的にも僕が活躍すれば福島のニュースにもなる。そうやって明るい話題を届けられればいいなと。だから結局、僕が頑張らないといけないんですけどね(笑)。まずは試合に出られるように」
萬代にとっては6年ぶりのJ1。3.11を前にした開幕戦は、古巣仙台とのみちのくダービーだ。願ってもないお膳立てではないか。なんとしても開幕メンバー入りを勝ち取って、ユアスタで躍動する18番を見せてもらいたい。
取材・文:頼野亜唯子