2点差がついてから反発したが、それも尻すぼみに…。
サッカーは丁寧にプレーすると、ときとして怖さがなくなっていく。だが、この課題とは無縁のチームがある。鹿島だ。彼らはポゼッションに縛られず、つねに敵の嫌なことをやるという姿勢が貫かれている。
例えばカイオ。面倒なヤツが集まった鹿島の中でも、彼は飛び切り面倒なヤツだった。
51分に鮮やかなミドルを突き刺した彼は、その4分後、鹿島らしいプレーを見せた。
左サイドから果敢に仕掛け、並走するA・マイアを振り切る。だが、クロスを上げられる状況になってもクロスを上げない。彼はニアポストに向かってサイドを深く深くえぐっていき、最後にエウシーニョに倒された。鹿島は好位置でFKを獲得、エウシーニョにイエローカードが提示された。
たぶんカイオは簡単にクロスを上げるより、深くえぐるほうが敵にダメージを与えられると考えたはずだ。深くえぐればゴールの確率は高まり、もしかするとPKを獲得できるかもしれない――。
鹿島の試合運びは、こうした駆け引きに満ちている。駆け引きで敵を揺さぶり、一気呵成にゴールを奪う。川崎の頭脳と身体を揺さぶり、敵が棒立ちになったところで2点目、3点目を決めた。
つまり技術で上回る川崎は駆け引きで負け、肝心の技術で勝負できないまま敗れ去った。
川崎の風間監督は、技術と戦術ですべてを解決できると考えているようだ。だが、サッカーは敵がいるスポーツであり、つねに自分たちの思い通りに事を運べるわけではない。
それでも自分たちの論理でゲームを運ぼうとするなら、敵に指ひとつ触れさせないくらいの完璧なプレーをするしかない。それは至難の業だ。なぜなら敵もまたプロ集団であり、厳しい練習を積んでいる。
川崎は激しい凌ぎ合いをしないまま、鹿島に勝点3を献上した。気になるのは、ホームのお客さんたちが、この敗北に納得したかということだ。
勝負事だから負けることはある。こういうときに問われるのは負け方だ。
「あれだけやったのだから、今日はもう仕方ない」
そう思わせるものを見せられたかどうか。
残念ながら、この敗戦に納得できるものはなかった。
2点差がついてから反発したが、それも大きな炎にはならず、尻すぼみになった。駆け引きをしない、怖さがないということよりも、この冷めたところが何よりも残念だった。
取材・文:熊崎敬
例えばカイオ。面倒なヤツが集まった鹿島の中でも、彼は飛び切り面倒なヤツだった。
51分に鮮やかなミドルを突き刺した彼は、その4分後、鹿島らしいプレーを見せた。
左サイドから果敢に仕掛け、並走するA・マイアを振り切る。だが、クロスを上げられる状況になってもクロスを上げない。彼はニアポストに向かってサイドを深く深くえぐっていき、最後にエウシーニョに倒された。鹿島は好位置でFKを獲得、エウシーニョにイエローカードが提示された。
たぶんカイオは簡単にクロスを上げるより、深くえぐるほうが敵にダメージを与えられると考えたはずだ。深くえぐればゴールの確率は高まり、もしかするとPKを獲得できるかもしれない――。
鹿島の試合運びは、こうした駆け引きに満ちている。駆け引きで敵を揺さぶり、一気呵成にゴールを奪う。川崎の頭脳と身体を揺さぶり、敵が棒立ちになったところで2点目、3点目を決めた。
つまり技術で上回る川崎は駆け引きで負け、肝心の技術で勝負できないまま敗れ去った。
川崎の風間監督は、技術と戦術ですべてを解決できると考えているようだ。だが、サッカーは敵がいるスポーツであり、つねに自分たちの思い通りに事を運べるわけではない。
それでも自分たちの論理でゲームを運ぼうとするなら、敵に指ひとつ触れさせないくらいの完璧なプレーをするしかない。それは至難の業だ。なぜなら敵もまたプロ集団であり、厳しい練習を積んでいる。
川崎は激しい凌ぎ合いをしないまま、鹿島に勝点3を献上した。気になるのは、ホームのお客さんたちが、この敗北に納得したかということだ。
勝負事だから負けることはある。こういうときに問われるのは負け方だ。
「あれだけやったのだから、今日はもう仕方ない」
そう思わせるものを見せられたかどうか。
残念ながら、この敗戦に納得できるものはなかった。
2点差がついてから反発したが、それも大きな炎にはならず、尻すぼみになった。駆け引きをしない、怖さがないということよりも、この冷めたところが何よりも残念だった。
取材・文:熊崎敬