「今でもあの日のことを思い出す」

クラブ史上初にして唯一、欧州の舞台でファイナリストとなった83-84シーズンのローマ。ファルカン(上段左から2番目)、セレーゾ(上段左端)以外にも、多くのイタリア代表選手が名を連ねていた。 (C) Getty Images
「あの時に、ローマの今に繋がる新たな歴史が始まったと言ってもいい。当時、決勝へ進出した喜びは、現在のチームにも語り継がれているだろう。決勝の舞台に立てたのは、素晴らしい体験だった」
そう語るファルカンは、「ローマの鷹」と呼ばれ、その華麗なテクニックで中盤から攻撃陣をコントロールしていたが、リバプール戦のPK戦でキッカーを務めることはなかった。
「当時、私は膝の状態が完全ではなかった。リバプール戦には痛み止めの注射を打って臨み、120分間を終えた時、これ以上ボールを蹴るのは不可能だった。それで、(ニルス・)リードホルム監督に辞退を申し出たんだ。本来なら、5番手で蹴っていただろう。ローマ加入1年目(80-81シーズン)でコッパ・イタリアを制した時もそうだった」
一方、無尽蔵のスタミナを誇ったセレーゾは、当時の両チームの違いを説明した。
「ローマは当時、あのような試合に慣れていなかった。一方、リバプールは(ブルース・)グロベラーがゴールを守り、攻撃陣には(ケニー・)ダルグリッシュや(グレアム・)スーネスといった選手を擁した強力なチームであり、カップ戦の決勝にも慣れており、オリンピコでもプレッシャーを感じていなかった」
そんな相手にホームで敗北という悲運を味わったものの、セレーゾは試合後の光景に感動を覚えたという。
「試合後、サポーターによる『グラッツェ、ローマ!』(通常はローマが勝った時に歌われる)が響いていた。それは、とてもファンタスティックな光景だった。今でも、あの日のことを思い出すぐらいだ」
彼ら偉大なOBだけでなく、ロマニスタにとってもあの一戦は良くも悪くも忘れられない大事な思い出なのだろう。果たしてローマは今回、因縁の相手をオリンピコに迎え、34年ぶりに新たな伝説を創って、歴史の1ページを加えることができるか。
そう語るファルカンは、「ローマの鷹」と呼ばれ、その華麗なテクニックで中盤から攻撃陣をコントロールしていたが、リバプール戦のPK戦でキッカーを務めることはなかった。
「当時、私は膝の状態が完全ではなかった。リバプール戦には痛み止めの注射を打って臨み、120分間を終えた時、これ以上ボールを蹴るのは不可能だった。それで、(ニルス・)リードホルム監督に辞退を申し出たんだ。本来なら、5番手で蹴っていただろう。ローマ加入1年目(80-81シーズン)でコッパ・イタリアを制した時もそうだった」
一方、無尽蔵のスタミナを誇ったセレーゾは、当時の両チームの違いを説明した。
「ローマは当時、あのような試合に慣れていなかった。一方、リバプールは(ブルース・)グロベラーがゴールを守り、攻撃陣には(ケニー・)ダルグリッシュや(グレアム・)スーネスといった選手を擁した強力なチームであり、カップ戦の決勝にも慣れており、オリンピコでもプレッシャーを感じていなかった」
そんな相手にホームで敗北という悲運を味わったものの、セレーゾは試合後の光景に感動を覚えたという。
「試合後、サポーターによる『グラッツェ、ローマ!』(通常はローマが勝った時に歌われる)が響いていた。それは、とてもファンタスティックな光景だった。今でも、あの日のことを思い出すぐらいだ」
彼ら偉大なOBだけでなく、ロマニスタにとってもあの一戦は良くも悪くも忘れられない大事な思い出なのだろう。果たしてローマは今回、因縁の相手をオリンピコに迎え、34年ぶりに新たな伝説を創って、歴史の1ページを加えることができるか。