あえて試みた先輩との衝突。周囲のサポートで本田の意識にも徐々に変化が。
実はストイックに打ち込むことに、苦しんだ時期もあった。だが、彼の揺るぎない覚悟が、逃げることを許さなかった。葛藤を繰り返す日々のなか、しかし自由にプレーできる環境を与えられたからこそ、彼はまっすぐ、かつ急速な成長を遂げられたのだ。
2年になるとポジションを左サイドからセンターへ移し、チームの大黒柱としてナンバー10を背負う。ピッチ上での存在感はさらに増し、良く言えば責任感と自覚の表われ、悪く言えば突っ走りすぎている感があり、先輩との衝突は日常茶飯事だった。
「打てどまったく響かない時もあって、正直いろいろ悩んだ。本音を出しすぎると、そうなるとは分かっていたけど……。分かっていたんだけど、辛かった」
そう正直に胸の内をさらしたように、精神的な苦しさは1年時よりも大きくなっていた。これがプレーに影響し、存在感をまったく示せない試合もあった。しかし、「自分のプレーだけしていればいいという選手が多かった。でもそれは絶対に違う。勝つために話さなくてはいけないことが絶対にある。それは言うべきだと思っていた」と、本田は自らのスタンスを崩さなかった。
苦しむ彼を救ったのは、同級生だった。当時2年生のレギュラー選手は数多くいて、本田と同じく1年の頃から定位置を射止めたFWの橋本晃司(現・大宮)らが、彼の良き理
解者だった。橋本は思い出す。
「圭佑のことは僕らがよく分かっていた。喧嘩もしたけど、最後は笑い合っていた」
サッカー選手の本田と、いち高校生の本田。“ふたりの本田”を同級生たちは受け入れ、決して彼を孤立させなかった。
こうした周りのサポートにより、本田の意識も徐々に変化していった。この年の高校選手権、星稜高は3回戦まで駒を進めるが、迎えた初芝橋本高戦に本田は出場できなかった。累積警告でスタンド観戦を余儀なくされたのだ。司令塔を欠いたチームは2-2からPK戦の末に敗れ、3回戦で姿を消した。
「悔しかったけど、スタンドから試合を観たことで、仲間への信頼感の大切さを改めて学ぶことができた」
サッカーはひとりではどうすることもできないと、改めて強く感じた。彼の意識はよりチームに、そして勝利に向けられていった。
2年になるとポジションを左サイドからセンターへ移し、チームの大黒柱としてナンバー10を背負う。ピッチ上での存在感はさらに増し、良く言えば責任感と自覚の表われ、悪く言えば突っ走りすぎている感があり、先輩との衝突は日常茶飯事だった。
「打てどまったく響かない時もあって、正直いろいろ悩んだ。本音を出しすぎると、そうなるとは分かっていたけど……。分かっていたんだけど、辛かった」
そう正直に胸の内をさらしたように、精神的な苦しさは1年時よりも大きくなっていた。これがプレーに影響し、存在感をまったく示せない試合もあった。しかし、「自分のプレーだけしていればいいという選手が多かった。でもそれは絶対に違う。勝つために話さなくてはいけないことが絶対にある。それは言うべきだと思っていた」と、本田は自らのスタンスを崩さなかった。
苦しむ彼を救ったのは、同級生だった。当時2年生のレギュラー選手は数多くいて、本田と同じく1年の頃から定位置を射止めたFWの橋本晃司(現・大宮)らが、彼の良き理
解者だった。橋本は思い出す。
「圭佑のことは僕らがよく分かっていた。喧嘩もしたけど、最後は笑い合っていた」
サッカー選手の本田と、いち高校生の本田。“ふたりの本田”を同級生たちは受け入れ、決して彼を孤立させなかった。
こうした周りのサポートにより、本田の意識も徐々に変化していった。この年の高校選手権、星稜高は3回戦まで駒を進めるが、迎えた初芝橋本高戦に本田は出場できなかった。累積警告でスタンド観戦を余儀なくされたのだ。司令塔を欠いたチームは2-2からPK戦の末に敗れ、3回戦で姿を消した。
「悔しかったけど、スタンドから試合を観たことで、仲間への信頼感の大切さを改めて学ぶことができた」
サッカーはひとりではどうすることもできないと、改めて強く感じた。彼の意識はよりチームに、そして勝利に向けられていった。